はじめに。
あくまで私の私生活を綴るブログですので、専門的な実務訓練は除外します。
本題。
日常生活の中で、プロスポーツ選手が日々の基礎トレを行うように、日常生活の中でできる心理士としての訓練はないだろうか。
そしてそういった日々のトレーニングといったら、私生活に馴染むものがいい。願わくば、私自身の人生が豊かになることを期待できるものはないだろうか。
そういった願いから、上司との相談、にわか愛読書神田橋先生のコツシリーズ、臨床動作法、受講中の心理療法ソマティック・エクスペリエンシング®(Somatic Experiencing®)と根底となるポリヴェーガル理論、自身の病気、そういった経験から自分なりにミックスし、約1年ほど、「基礎トレ」を続けてきました。
その中でも、色んな方の、より主体的に、より豊かに人生を送ることができる土台になる、かも、しれない、と感じたものをご紹介したいと思います。
とはいえまだ1年。
例えに出したスポーツで言えば、中学1年生が初めて参加した運動部を、ようやく1年経ったばかりのころです。
そんな初学者から毛が生えた段階で、要精進の私ですが、現時点の思考整理と今後の取り組みのためという意味も兼ねて、記事にしたいと思います。
ながてぃの基礎トレ4選
なぜ を封印
つい、事情を詳しく聴きたい熱意から、私が使ってしまう疑問符。
しかし、以下理由で封印しました。
臨床家としてのセンスが腐る?
好奇心旺盛な子どもが「何故」を連発することを想像します。
これは、解答を大人側に完全依存している幼子だから許される行為ではないでしょうか。
プロがそれを行うことは、クライアントに情報収集を丸投げする行為、なのではないかと現時点での私は考えます。
例えば、腰が痛いという訴えに対し、「なんで痛いの?」と聞く治療者はいるかなあ、という想像に端を発します。
強制と吊し上げ作用を防ぐため
「強制と吊し上げ」…この表現は、神田橋先生の御著書から、面識もないのに無断で拝借しています。
日本人が幼少期から、大人に「何故」と聞かれる場面はどういった状況があるでしょうか。
それは大概、怒られる場面ではないかと思います。
大人は理由を聞きたいのではなく、叱責の意図で「何故」を伝えることが多い印象を受けます。私がそうです。
この経験からか、「何故」と聞かれることで、攻撃を受けていると感じる方は少なくない、と、実経験を加味して思います。
これは、カウンセリングの安心安全の場から遠ざかる行為だと私は感じます。
非常に高い負荷を与える行為であり、「なぜ」を発する際は、相手に及ぼす負荷以上に、益があると断言できる場合以外には使わないと心に誓いました。
ただし今現在私は、負荷を超える利益を見出せていないので、未だ封印しております。
また、非言語情報・身体感覚・といった情報が、言語情報より豊かに相対する方の理解に繋がる時が多いと、日々の臨床を通して感じます。
一方、「何故」の質問は、強制的に言語を扱わせる効果が高すぎるように感じます。
非言語情報を含めたアセスメントをしたいのに、私の側からそれをシャットアウトし、言語化を強制させてしまいやしないか。と自問自答を繰り返しました。
そして、封印すると、つい「何故」と聞きたくなったことに対し、あの手この手で質問を工夫するようになりました。
まだまだうまく行かないことの方が多いですが、こうした私自身の内なる作業が、私個人の人間の質、プロとしての質を向上させる、気がしています。
文書作成時は、辞書に載っていない〜〜的 ぼかし表現を封印
これはある意味「何故」の真逆?かもしれません。
曖昧にさせて緩衝材として働く効果もあるでしょう。
ただ、文章、つまり完全な言語情報として相手に伝える際、何を言いたいのか伝わりにくくさせる弊害があるように思われます。
執筆者としての私自身も、何が言いたいのか不明瞭になってしまいます。
明確にすることが求められる文書作成では、勝手な曖昧表現・造語は使わないことを、心に誓いました。
それを封印し、いかにすれば伝わりやすい表現ができるか四苦八苦するところに、やはり自身の成長につながる効果があるよう思われます。
関連して上司から、ご意見「用語解説は噛み砕く練習をしてみては。噛み砕く過程が、その用語の理解に繋がるかもね。そして、レポート作成する時は、噛み砕けるなら初めから用語は使わないで」をちょうだいしたことがあります。
記録作成は最長10分以内
実務を離れた日常生活での工夫、という観点からは離れてしまいますが、文書作成のトレーニングとして、仕事で実施しています。
要するに、長々ダラダラ書かない。
これを実践して実感しつつある効果は以下の通りです。
自分の負担軽減
例えばカウンセリング終了後、じっくり思い出し、丁寧に長く、質と量を含めて記載する。
これ自体にも意味はある、とは思います。
が、次々とお目にかかるクライアントさん全員とそれをしていると、不公平な扱いをするか、延々と長時間労働をしないといけなくなります。
あくまで目安かつ極論ですが、50分カウンセリングをしたとして、10分未満で書き上げ、1分程度の身支度を整えられれば、8時間勤務ならば8件受け持つことができる計算です。
受け持たなくとも、余った時間で自己調整を試みたり、思考活動を行ったり、他の仕事を片付けたり、他者とコミュニケーションがはかれたり、有意義に時間が使えるようになってきました。
自身の取組・思考・方針の凝縮
長く丁寧に時間をかけて記録を書いていると、情報は網羅できるかもしれません。
しかし、長すぎて、何を自分がその活動で目指し、課題はどこで、次からどうするか、といった要素が、薄まってぼやけてしまうように感じられます。
確かに、最長10分以内で凝縮することで、抜け落ちる情報も多々あります。
が、それにより自然と自身の中での情報の重み付けが行われ、自分のやっていることや考えていることが明確になる。気がします。
SVや、ケースカンファレンス、他専門家へのリファーの際なども、すぐ現状と方針を伝えられるのではないかな。
五感トレーニング ブログもその一環
書籍、検査用具、場所、そういった制限を一切受けず、私生活の中でいつでも存分にできるトレーニングがこれだと思います。
同時に、これは、冒頭の、私が参考にしたもの全てがもはや分離不可能なほど混ざり合っており、ソースの明示が難しいです。
目・耳・鼻・皮膚・内蔵・神経・手・足・・・。
私には、両親から賜った、生まれ持った多種多様なセンサーが備わっています。
相対する目の前の方を理解するために、話す内容だけでなく、表情、生育史、姿勢、身体の緊張、汗、言語情報伝達以外の情報が込められた声…。
私の全身全霊を持って、センサーを働かせ、その方をスキャンする。
センサーの訓練は特別なことではなく、私生活全てを通して実践できると考えられます。
例えば食事、例えば散歩、例えば重心や姿勢。
また、家族や友人とコミュニケーションをしているときに、私自らに生じる言葉にならない感覚に気づくこと。
日々是臨床。ではないでしょうか。
ただし、初心者の私は、ジャンプ漫画『鬼滅の刃』の基礎にして奥義「全集中・常中」のような域には全然達しません。
すぐ疲れます。ぐでたま、か、たれパンダみたいになります。
気が向いた時、気づいた時にやるようにして、ゆるく継続しています。
また、ブログを始めて3ヶ月ほど経つかなと思いますが、これもいい五感トレーニングと思考整理になります。
ブログを書くために、という訳ではありませんが、日々触れ合う何気ない出来事に対し、以前より観察するようになった気がします。
そして観察した非言語・言語情報を、言葉として生み出す。
それが楽しい。
なんとまあ、ブログというものは、趣味と実益を兼ねた活動でしょうか。
↓ちなみに、五感トレーニングとして今すごくご機嫌なのはこれです↓
おわりに
日常生活の中で、プロスポーツ選手が日々の基礎トレを行うように、日常生活の中でできる心理士としての訓練はないだろうか。
そしてそういった日々のトレーニングといったら、私生活に馴染むものがいい。願わくば、私自身の人生が豊かになることを期待できるものはないだろうか。
そんな発想でさまざまな先達から得たものを私なりにミックスし、独自にアレンジし、日常でおこなっている基礎トレ4つをご紹介いたしました。
そして、基礎トレ歴1年ほどの、部活新入生がワンシーズン過ごし終えるあたりのひよこ心理士の私。
自分のセンサーが誤作動を起こしていないか、時に自分もセラピーを受けたり、SVを通して発想を広げたり確認する作業が必須だなあと感じる今日この頃です。
なんせ私のセンサーと言ったら誤作動ばかりで、自分の身体の声を無視して以下のようなことがしょっちゅう発生します。
↓センサー誤作動の例1
↓センサー誤作動の例2
ここまでご覧いただき、ありがとうございます。
このブログが、あなたがあなたらしく生きるための土台づくりの、何かのヒントになれば幸いです。
参考図書?抜粋
参考図書を抜粋するのは難しいのですが…
まずは、神田橋先生の「コツ」シリーズの内2つ。
コツシリーズ1冊目?です。
タイトルから、後者の2冊目から買ったのですが、1作目を読んだことが前提となるようでしたので、改めてこちらを買いました↓
↓コツシリーズ2作目。
1作目読了前提の本のようです。
読み進めていると、1作目が気になり、また1作目に戻り、ということを繰り返します。
↓続いて、ソマティック・エクスペリエンシングや、土台となるポリヴェーガル理論等に関連するこちら。
個人的に、ポリヴェーガル理論は難解で、いくつか関連書籍を読みますが、通読できた本がほとんどありません。
こちらの書籍は、理論編と実践・事例編と大別されており、比較的、読みやすい、部類に、感じます(主観)。読みながら、クライアントさんと一緒に実践しやすい内容でした。
あと、動作法の本も紹介したいのですが、これも実践ありきだなあと、月例会などで感じます。お恥ずかしいのですが、まともに読み切れた本がなく、結局SVに、実践形式で教わったり、実際にトレーニーさんに直で教わってます。
あ、でも最近、読んだ論文の中で、
『児童養護施設に長期入所する女子高校生に対する 動作法を用いた心理的援助』高橋佳代先生
これは感動しました。
いわゆる問題行動を起こしまくっているクライエントがカウンセリングにつながり、当初は言語化が難しく、身体を楽にする、ということから次第に、自ら話したい時間が増え、いつしか問題行動が減り、身体アプローチから言語面接に移行していく…。
出会い方、経過、そして一応の一区切りのシーン。
私の大切なクライアントさんの姿が浮かび、今、この瞬間の私が出会うべくして出会った論文のような感じがします。
改めて、ここまでご覧いただき、ありがとうございます。
このブログが、あなたがあなたらしく生きるための土台づくりの、何かのヒントになれば幸いです。
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