ウォシュレットは弱。痔と向き合い足るを知る

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日々の色々

こんにちは。

今日は、いつも私が追い求める「ちょうどいい」に関連します。

かのジャンプ漫画家、空知先生は、ご自分の漫画を描く際、「尻の穴を公開するくらいの気持ちで漫画を描いている」といったような表現をどこかでされていたと記憶しています。コミックスの作者のつぶやきページ的な所だったと思いますが、曖昧です。デマだったらすみません。

そんな私の今回の話題はお尻。さらに言えばお尻の穴。もっと言うとお尻の穴の外側と内側。

そんな身体のごくごく小さな部位から教えられた気づき。

運命の日

それは2021年10月21日。

お尻に長年感じていた違和感が、ずきずきとした痛みに変わった日でした。

痛みを観察すると、痛みの箇所は2種類。

一つは、穴の内側。排便すると削られるような痛み。

一つは、穴の外側。お尻とお尻の間に、触れたら爆ぜそうな豆がある感覚。

恥を忍んで妻に尻をさらします。

普段から私の行動に慣れている妻も、この時は失敗した福笑いみたいな顔をしていました。

お互い冷静になれぬまま、私は妻に尻の穴を見せ続け、そのまま追いかけます。

けられたり、訴えられてもおかしくない状況だったと、今では思います。

それでも私からわけを聞き出し、尻の穴を観察してくれた妻の、海のように広い心に言葉もありません。

肛門科を受診

休日に、近所の肛門科を探しました。

ちょうど徒歩圏内にありましたので、早速行くことにしました。

この時も、今にして思えば何を思ったか、私は自転車にまたがり颯爽と走りだします。

直後、尻から発せられる緊急警告。

なぜか自転車から降りる選択肢がなかった私は、涙目のまま、立ちこぎで肛門科に到着しました。

受診

私から事情を聴取すると、DrとNsが目くばせをし、何やら準備を始めます。

両者とも薄手のゴム手袋を着用し、そしてDrの手に取られた金属の筒。

私の手で、OKサインをすると作られるわっかくらいの直径でした。

言い過ぎかもしれませんが、当時の私はそう感じました。

Dr「横になって、力を抜いてください」

私「      」

死刑宣告を受けた気分でした。

血の気がさーっと引いていきます。

検査器具がお尻の穴に、入らない。

抜こうと思っても抜けない力。

日ごろ接する脳性麻痺者さんの、不随意緊張は、仕組みは違えど気持ちはこれか、と、脳内に映像が浮かびました。

DrとNsの共同作業で、どうにか検査を終了。

ねぎらいのあたたかな声をDrとNsはそれぞれかけてくださいます。

脂汗がほとばしり、息も絶え絶え、交感神経の過覚醒状態の私は、返事をしようにも、できません。

声をひねり出し、

私「…お手数…おかけ…しま…した」

と、費やすエネルギーに反してか細い声がかろうじて出てきただけでした。

結果:痔

私の痔は2種類でした。

外痔核

がいじかく、と読むそうです。

お尻の穴の外側に、血栓ができた状態の痔のことだそうです。

私の感じた穴の外側の破裂しそうな豆は、これでした。

大きくなると、切開手術もあるそうですが、私はそこまで大きくなっていなかったので、

毎日・朝晩・お尻に軟膏を塗ることになりました。

内痔核

ないじかく、と読むそうです。

こちらは、お尻の穴の内側に、傷ができている状態の痔のことだそうです。

私の感じた排便時に削り取られるような痛みは、これでした。

ウォシュレットの強さについてDrと協議

あまり強い刺激を与えず、かつ清潔にすることが治療・予防になるようです。

ながてぃ
ながてぃ

先生、そうすると、私、いつも汚れが取れた気がしないのでウォシュレットマックスパワーでやっていたのですが、良くないのですか。

肛門科医
肛門科医

優しい水流で十分ですよ。

また、紙でごしごしするのではなく、水気を取るくらいで十分です。

優しく、清潔にすることが大切です。

これがアハ体験か。

足るを知る

「足るを知る」とは、古代中国の思想家、老子の言葉です。

「足るを知る者は富む」、つまり「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表しています。

google検索 検索ワード:足るを知る 検索結果トップページより引用

私が今回の体験で学んだことは、まさにこの言葉です。

ウォシュレットの弱流ではお尻はきれいにならず、マックスパワーで強烈に洗い流さないといけないと思っていました。

しかし、上記、Drとの協議後、ためしに最弱水流、そして紙はそっとお尻の水分をとる程度にするだけでも、お尻は奇麗になりました。

この行動変容から4か月たった今。

お尻の違和感はほぼ感じなくなりました。

私のお尻は、私自身にこの言葉を理解させるために、身をもって、痔になってくれたのだと感謝しています。

もしこの身体から発せられる警告を無視し続ければ、いずれ手術が必要なほどの症状に発展していたかもしれません。

自分にとってちょうどいい、足るを知ること。

個人差があるからこそ、自分の身体と対話し、向き合うことの大切さを、改めて学んだ。

そう感じます。

ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

このブログが、あなたがあなたらしく生きるための土台作りの、何かのヒントになれば幸いです。

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